Historyの授業
11 授業
- 活動:社会生活の変化を調べよう – くらしの変化を調べるには、テーマを1つ決め(電話、乗り物、食べ物、買い物など)、いろいろな年代の人に同じ質問をして、答えを数え、昔と今を比べ、変化の原因を考え、グラフ・年表・短い話で発表します。
- 活動:統一的な多民族国家はどう形づくられたか – この活動では、君は若い歴史家になります。問いを立て、証拠を集め、できごとを年表(秦は紀元前221年、漢、元、清)に並べ、主張を書いて発表します。歴史家の意見がいつも一致するわけではないので、必ず証拠を示しましょう。
- 高度な技術と知識社会 – 原子力、宇宙開発、情報通信技術(ICT)は、1945年以降の生活を大きく変えました。そして、知識がいちばんの富になる「知識社会」も生まれました。
- 初期アフリカ史:大地・王国・交易・思想(1600年ごろまで) – アフリカは砂漠、サバンナ、熱帯雨林が広がる巨大な大陸で、2000以上の言語があります。ここにはナイル川沿いのケメトとクシュ、アフリカの角のアクスム、鉄を作ったノク、金と塩で栄えたガーナ・マリ・ソンガイの帝国、スワヒリの交易都市、グレート・ジンバブエ、コンゴ王国など、すぐれた社会が育ちました。親族のつながり、口承と文字による学び、混ざり合う信仰が人々の暮らしをつくり、アフリカの人々は大西洋奴隷貿易よりずっと前から世界を旅していました。
- 辛亥革命:武昌蜂起から中華民国へ – 1911年10月10日、武昌で兵士たちが立ち上がりました。数週間のうちに十数の省が清の支配から離れました。1912年1月1日に中華民国が始まり、孫文が臨時大総統になりました。1912年2月12日には幼い皇帝の溥儀が退位し、2000年以上続いた皇帝の支配が終わりました。ただし、できたばかりの共和国は弱いものでした。
- 世界史の冒険:仕事・交易・くらしはどう変わったか – 歴史は、働く普通の人びとの物語でもあります。農業によって食料の余りが生まれました。余りは交換できるので、市場や交易路や貨幣が発達しました。食料に余裕ができると、一部の人は別の仕事につけました。手工業、商売、文字の記録、宗教、戦いなどです。都市は、交易、仕事、安全、支配者のおかげで大きくなり、のちには工場のおかげでも大きくなりました。この200年で機械はほとんどすべての仕事を変え、労働者や女性などは権利を得るために社会運動を起こしました。今では世界の働く人の約半分がサービス業で働いています。
- 絶対王政:ひとりの君主がすべての力を握った時代 – 絶対王政(おもに1600年ごろ〜1789年)とは、ひとりの君主がほとんどすべての権力を持つ政治のしかたです。君主は法律を作り、それを実行し、最高の裁判官にもなりました。君主は「自分の力は神から授かった」(王権神授説)と言ったので、だれも文句を言えませんでした。国を支配するために、君主は常備軍をつくり、給料を払う役人を雇い、各地から税を集め、大貴族を宮廷に引きとめて忙しくさせました。フランスの「太陽王」ルイ14世とヴェルサイユ宮殿が代表的な例です。ロシアのピョートル大帝や、オーストリアやスペインのハプスブルク家の君主も同じように支配しました。絶対君主は重商主義を取ることが多く、外国に売る量を買う量より多くして、金を国に集めようとしました。イギリスやオランダでは、議会や裕福な町の指導者が君主の力を抑え、1689年以降のイギリスは立憲君主制になりました。啓蒙思想と1789年のフランス革命によって、絶対王政はついに弱まりました。
- 太陽王ルイ14世とフランスの絶対王政(1643〜1715年) – ルイ14世は1643年、わずか4歳でフランス王になり、72年間王位にありました。幼い間は、母のアンヌ・ドートリッシュと宰相マザランが国を治めました(摂政時代)。戦争のための重い税が原因でフロンドの乱(1648〜53年)が起こり、高等法院や大貴族が王権に逆らいましたが、王権は生き残りました。1661年にマザランが死ぬと、ルイは宰相を置かず自分で政治を行いました。少人数の会議、コルベールのような忠実な大臣、「地方監察官(アンタンダン)」と呼ばれる王の役人を使いました。貴族たちはヴェルサイユ宮殿に集めて忙しくさせ、芸術や儀式で「太陽王」としての姿を見せつけました。コルベールは重商主義で国を豊かにしようとしました。ルイは多くの戦争をし、1678年までは領土を広げました。しかしその後は大きな同盟との戦争、1685年のプロテスタントの権利の廃止、飢饉が続き、1715年にフランスは深い借金を抱えました。孫がスペイン王位を守りましたが、国は疲れ切っていました。
- 大航海時代(1400年ごろ〜1600年ごろ) – 1400年ごろから1600年ごろにかけて、ポルトガルやスペイン、のちには他のヨーロッパの国の船乗りたちが、世界の海をわたる新しい航路を開きました。理由は、たくさんの仲買人にお金をはらわずに香辛料や金を手に入れたかったこと、キリスト教を広めたかったこと、そして名声がほしかったことです。新しい船(キャラベル船)、羅針盤、アストロラーベ、よりよい地図のおかげで、長い航海ができるようになりました。ディアスはアフリカの南のはし(1488年)に、コロンブスはアメリカ大陸(1492年)に、ガマはインド(1498年)に着き、マゼランの船団は世界一周(1519〜22年)を成しとげました。それより前には、中国の鄭和が大船団を率いてアフリカまで行っています(1405〜33年)。この航海によって、世界ははじめてつながりました。貿易や新しい食べ物、富がヨーロッパにもたらされましたが、同時に征服、おそろしい病気、大西洋の奴隷貿易も生まれました。
- 文化遺産 – 文化遺産とは、地域の人々が過去から受け取り、今も大切にし、未来へ伝えたいものすべてです。建物や記念碑、博物館の品、言語、音楽、踊り、祭り、工芸、食べ物、知恵などがあります。有形遺産は手でふれられるもの(寺院や橋のように動かせないもの、硬貨や写本のように動かせるもの)。無形遺産は人が生活の中で行い続けるもの。自然遺産は特別な景色や野生生物です。遺産は私たちのアイデンティティになり、歴史を教え、観光で収入をもたらし、文化と文化をつなぎます。一方で、風雨による劣化、汚染、混雑、無理な開発、放置、紛争が脅威になります。保存、法律、博物館、遺産リスト、教育、地元の人々の活動で守られます。
- 冷戦(1945〜1991年) – 冷戦とは、1945年から1991年まで続いた、2つの超大国の長いにらみ合いです。1つはアメリカと西側の仲間たち(資本主義、複数の政党による選挙)、もう1つはソ連と東側の仲間たち(共産主義、一党支配)です。この2国は直接戦うことはありませんでした。その代わりに、対立する同盟(NATOとワルシャワ条約機構)を作り、核兵器づくりや宇宙開発で競い、代理戦争(朝鮮、ベトナム、アフガニスタン)では反対の側を支援し、1962年のキューバでは核戦争の一歩手前まで行きました。インドなどに率いられた多くの新しい国は、どちらにも属しませんでした(非同盟)。1970年代にはデタント(緊張緩和)が進みました。ソ連の改革、1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連解体で冷戦は終わりました。