アフリカ研究とアフリカ系ディアスポラ研究とは?
アフリカ研究は、アフリカとアフリカ系ディアスポラ(アフリカにルーツを持ち、世界各地で暮らす人々)の歴史、文化、思想を調べる学問です。考古学、口承、文字の記録、美術、音楽、言語など、いろいろな資料を使います。
1500年よりずっと前から、アフリカの人々は広く旅をしていました。カイロやメッカの学者、インド洋の船乗り、インド(デカンのマリク・アンバルなど)やヨーロッパの兵士や支配者もいました。のちに大西洋奴隷貿易で何百万人もが無理やり連れ去られ、アメリカ大陸に新しい共同体ができました。
変化に富む大陸:大地・人・言語
アフリカの面積は約3000万km²で、インド、中国、アメリカ、ヨーロッパを全部合わせたより広い大陸です。主な地帯は、サハラ砂漠、乾いたサヘル、草原のサバンナ、中央の熱帯雨林です。ナイル川、ニジェール川、コンゴ川、ザンベジ川などの大河のおかげで、農業と交易ができました。
アフリカは、遺伝的にも言語的にも、どの大陸よりも多様です。大きな語族が4つあり、言語は2000以上あります。約3000年前、バントゥー系の言語を話す農耕民が南と東へ広がり始め、鉄の加工と農業を伝えました。
古代の社会:ケメト、クシュ、アクスム、ノク
- ケメト(古代エジプト、紀元前3100年ごろから):ファラオ、ピラミッド、ヒエログリフ、ナイルの洪水を利用した農業。
- クシュ(ヌビア、紀元前1070年ごろ〜紀元後350年):かつてエジプトを支配しました。メロエは鉄づくりの大都市で、独自の文字がありました。
- アクスム(エチオピア・エリトリア、紀元後100〜940年ごろ):紅海の交易で栄え、硬貨を作り、4世紀にキリスト教を受け入れ、高い石碑(ステラ)を建てました。
- ノク(西アフリカ、紀元前1000年〜紀元後300年ごろ):早くから鉄を溶かして作り、有名なテラコッタの頭像を残しました。
スーダンの帝国:ガーナ、マリ、ソンガイ
サヘルでは、3つの帝国がサハラ縦断交易を支配して豊かになりました。南の金と、砂漠の塩が交換されたのです。
- ガーナ(300〜1100年ごろ):通り抜ける金と塩に税をかけました。
- マリ(1235〜1600年ごろ):スンジャータ・ケイタが建国。マンサ・ムーサが1324年にメッカ巡礼で金をたくさん使い、カイロの物価が変わるほどでした。
- ソンガイ(1460〜1591年ごろ):最大の帝国。アスキア・ムハンマドが政治と学問を整えました。
学びの伝統:トンブクトゥやジェンネには、モスク、大学、そして法律・天文学・医学の何千もの写本がありました。グリオは、スンジャータの叙事詩のように、語りと音楽で歴史を伝え続けました。
東アフリカと南部アフリカ:スワヒリ海岸とグレート・ジンバブエ
キルワ、モンバサ、ザンジバルなどのスワヒリの都市国家(1000〜1500年ごろ)は、モンスーンに乗って航海し、象牙、金、鉄を、インド、アラビア、中国の布、ビーズ、磁器と交換しました。スワヒリ文化は、アフリカ、アラブ、ペルシアの考えが混ざり合ったものです。
グレート・ジンバブエ(1100〜1450年ごろ)は石の都市で、大きな曲線の壁はつなぎ(モルタル)を使わずに積まれていました。海岸への金の交易を支配していました。
コンゴ、親族、信仰
コンゴ王国(1390年ごろから)は、ムバンザ・コンゴを都とするマニコンゴが治め、各地方は布や貝を貢ぎ物として納めました。アフォンソ1世は1500年代初めにキリスト教を受け入れ、ポルトガルに手紙を書いて奴隷貿易に抗議しました。
親族:多くの社会は家系や氏族で組み立てられていて、母方をたどって血筋を数える社会(母系)もありました。指導者は長老会議とともに治め、母后が本当の力を持つことも多くありました。
信仰:アフリカの多くの世界観では、創造神、精霊、祖先を敬うことが教えられました。イスラム教やキリスト教が伝わると、人々は古い信仰と混ぜ合わせることがよくありました。これが宗教シンクレティズム(習合)です。
やってみよう:年表を作る
紀元前3000年から紀元後1600年までの線を引きます(1cm = 200年)。それぞれの社会の始まりと終わりを書き込みましょう。重なっていたのはどれでしょう。3Dの年スライダーで確かめましょう。
重要な公式と用語
- サハラ縦断交易:金は北へ ↔ 塩は南へ
- モンスーン:夏はインドへ、冬はアフリカへ戻る
- スーダンの帝国の順番:ガーナ → マリ → ソンガイ
- ディアスポラ = 故郷を離れて世界各地で暮らす人々
- シンクレティズム = 異なる信仰が混ざり合うこと
- 母系 = 母方をたどる家系
例題
1. サヘルでなぜ塩はとても貴重だったのでしょう?
暑い土地では汗で塩分が失われるので、人は塩が必要です。また塩は食べ物の保存にも使います。南には金がありましたが塩は少なく、砂漠には塩の鉱山があったので、塩は同じ重さの金と同じ値打ちになることもありました。
2. 並べ替えましょう:ソンガイ、ケメト、マリ、アクスム。
ケメト(紀元前3100年から)→ アクスム(紀元後100年から)→ マリ(1235年から)→ ソンガイ(1460年から)。
3. 文字を書かない人も多かったのに、歴史家はどうやってマリのことを知るのでしょう?
イブン・バットゥータなどアラブの旅行者の記録、トンブクトゥの写本、考古学、そしてスンジャータ叙事詩のようなグリオの口承史からです。
よくある間違い
- ヨーロッパ人が来る前のアフリカには歴史がなかったと考えること。実際には何千年も前から、すぐれた王国、都市、図書館がありました。
- アフリカを、ひとつの言語を持つひとつの国のように扱うこと。実際には50を超える国と2000以上の言語があります。
- 口承の歴史は本当の歴史ではないと考えること。グリオは何世代にもわたって出来事を丁寧に伝えてきました。
- 昔のガーナ帝国と今のガーナ共和国を混同すること。帝国はもっと北西、今のモーリタニアとマリのあたりにありました。